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最高裁判所第一小法廷 昭和59年(オ)103号 判決

上告人

右代表者法務大臣

谷 川 和 穗

右指定代理人

岩 佐 善 巳

外三名

被上告人

甲 野 太 郎

右訴訟代理人弁護士

石 田 省三郎

井 上 正 治

知 念 幸 栄

池宮城 紀 夫

上 間 端 穂

主文

原判決を破棄する。

本件を東京高等裁判所に差し戻す。

理由

上告代理人藤井俊彦、同篠原一幸、同小野拓美、同土屋東一、同牧野広司の上告理由一、二、四及び五について

一原審が確定した事実関係は、次のとおりである。

1  被上告人は、昭和四六年一一月一六日、復帰前の沖縄の刑法による殺人被疑事件により通常逮捕され、同年一二月八日、那覇地方検察庁検察官により同法による殺人罪で那覇地方裁判所に起訴された。刑事第一審は、被上告人の行為は同法による殺人罪に該当するが、傷害の犯意を有していたにとどまるから同法による傷害致死罪の刑をもって処断すべきであるとして、被上告人を懲役一年に処し、右判決確定の日から二年間、右刑の執行を猶予する旨の判決を言い渡した。これに対し検察官及び被上告人の双方が控訴し、福岡高等裁判所那覇支部における審理の結果、刑事控訴審は、昭和五一年四月五日、第一審判決を破棄して被上告人に対し無罪の判決を言い渡し、同判決は上告されることなく、同月二〇日確定した。

2  被上告人に対する那覇地方検察庁検察官作成の起訴状記載の公訴事実は、「被告人はかねてより警察権力に反感を抱いていたものであるが氏名不詳の者数名と共謀の上、一九七一年一一月一〇日午後五時五〇分頃、浦添市勢理客一番地中央相互銀行勢理客出張所先交叉点道路上に於いて、警備の任に当っていた琉球警察警備部隊第四大隊第二中隊第二小隊所属巡査部長山川松三(当四九年)を殺害せんと企て、同人を捕捉し、角材・旗竿で殴打し、足蹴し、顔面を踏みつけた上、火炎瓶を投げつけ、焼く等の暴行を加え、よって右警察官を前記日時頃、前記同所に於いて、脳挫傷、蜘蛛膜下出血等により死亡させて殺害したものである。」というものであったが、検察官は、昭和四七年二月二五日、刑事第一審の第一回公判期日において、(一) 右殺人の共謀とは、実行共同正犯の意味であり、共謀の具体的日時場所は、起訴状記載の数名の者が巡査部長山川松三(以下「山川巡査部長」という。)を捕捉し、角材・旗竿で殴打し、足蹴にしているのを被上告人が認め、そこで数名の者と共謀して殺意を生じたものである、(二) 被上告人の具体的行為は、炎の中から炎に包まれている山川巡査部長の肩をつかまえて引きずり出し、顔を二度踏みつけ、脇腹を一度蹴った行為である、と釈明した上、被上告人が右行為(以下「第二行為」という。)を行ったという点を訴因として特定した。そして、右第二行為の数分前、同交差点附近を警備していた山川巡査部長が火炎びんを投げた過激派の者らを追って交差点内に入って来た際、被上告人が山川巡査部長の右腰のあたりを右足で一回蹴った行為(以下「第一行為」という。)は、訴因外とされた。

3  右起訴に係る事件は、昭和四六年一一月一〇日、那覇市与儀公園において開催された沖縄県祖国復帰協議会主催の「沖縄返還協定の批准に反対し完全復帰を要求する県民総決起大会」に参加した数万人の参加者らが右公園から浦添市字仲西の米国民政府庁舎前までデモ行進を行った際発生したものであるが(被上告人も右デモ行進に参加した。)、検察官は、右事件を起訴するに当たり、収集した警察官作成の捜査関係書類、供述調書、写真、フイルム、証拠物など多くの証拠を検討し、被上告人の第二行為について罪体と被上告人とを結び付ける事実を立証するについては、(一) 喜久里伸ほか一名作成の昭和四六年一一月一五日付け写真焼付報告書一五の写真(甲第五〇号証写真一五、乙第四三号証写真一五。以下撮影者平野富久の名をとって「平野写真」という。)、(二) 昭和四六年一一月一一日付け読売新聞一面の写真(甲第八六号証の上段・下段の二葉の写真。上段の写真は第一行為の模様を撮影した写真であり、下段の写真は第二行為に関するものである。以下併せて「読売写真」という。)、(三) 目撃者宇保賢二の警察官及び検察官に対する合計三回の供述(以下「宇保供述」という。)、(四) 宇保と行動を共にした前川朝春の警察官に対する供述(以下「前川供述」という。)が重要な証拠であると判断した。このうち平野写真は、右事件当時平野富久が、仰向けに倒れている山川巡査部長の右足の方向から撮影したものであって、被上告人が山川巡査部長の左側に位置し、そのそばで右足を上げているところが写されており、そのまま足を下ろすと山川巡査部長の左腰部又は腹部に当たるように見えるものであり、宇保供述は、宇保が事件当日たまたま勢理客交差点を通りかかって、本件を、被上告人の位置から約一〇メートル離れたところにある高さ約一.七〇ないし一.八〇メートルのブロック塀の上で、倒れている山川巡査部長の足の方向から目撃した状況を述べたものである。宇保の捜査段階での三回の供述は、被上告人の暴行の態様(踏んだか、蹴ったか)、山川巡査部長の暴行を受けた部位(頭か、顔か、腹か)に食い違いはあるが、被上告人が、右足で山川巡査部長の頭又は顔及び腹を、数回踏んだり蹴ったりして暴行したという点では一貫していた。また、前川供述は、前川が宇保とほぼ同時刻に同一場所で目撃した、山川巡査部長に対する火炎びん投てき前の過激派集団の暴行と、その後の盾や旗により山川巡査部長を覆ってした消火行為の状況を述べている。なお、検察官は、捜査の時点で、カメラマン吉川正功が撮影した一六ミリ映画フイルム(検甲第一号証。以下「吉川フイルム」という。)を入手していた。これは右同時刻ごろ、吉川正功が、倒れている山川巡査部長の右頭部方向から左頭部方向に移動しながら撮影したものである。検察官は、吉川フイルムを検討したが、被上告人の上下する足が山川巡査部長の身体に当たった場面が写されていないので、被上告人の犯罪行為を立証する証拠にならないと判断した。

4  被上告人の捜査の段階における供述は、当初、第一行為である山川巡査部長の腰部附近を一回蹴った行為をも否認していたが、昭和四六年一一月一九日になって、読売写真を示されてこれを認めるようになり、第二行為については、当初、警察官を助けたいと思ったが着衣に火をかぶっては危険だと思ったので何もすることができず見ているだけだったと述べ、同月二〇日になって、手をさしのべて火の中から警察官を助け出そうとしたが、靴の底に火が着いていたし、自分自身火をかぶるのではないかと思い、助け出すのを断念したと述べ、同月二一日には、警察官を引っばり出そうと手を出しかけたが、火の勢が激しく、靴の底の火を地面に叩いて消すのに精一杯で助けるのを断念したと述べ、同月二九日には、警察官を引き出して火を消そうと思ったがやむなく断念し、靴についた火を消し、そのあとで、倒れている警察官の火を足で消そうとしたと述べ、自己のための消火行為から被害者である山川巡査部長のための消火行為をも述べるようになり、その供述は変転した。そして、終始山川巡査部長を助けたいと思ったと述べながら、火の中から山川巡査部長を引きずり出したとは述べず、弁護人が刑事第一審の第一三回公判期日における冒頭陳述で初めて、救助のため引きずり出したと述べるに至った。

5  刑事第一審の審理は、第二行為と目されるものが検察官の主張する殺人の実行行為であるか、弁護人らの主張する救助行為であるかに争点を絞って審理され、検察官申請の証人平野富久(平野証言)、平野写真及び証人宇保賢二(宇保証言)の各証拠調がなされ、第一二回公判期日をもって、一応、検察官申請の証拠調の段階を終了し、その後、弁護人申請の証拠調の段階に入り、証人前田孝(前田証言)、同吉川正功(吉川証言)、同宮城悦二郎(宮城証言)及び吉川フイルム並びに前田孝撮影の写真(乙第四五号証。以下「前田写真」という。)の各証拠調がなされ、更に、第一八回公判期日に検察官の申請で読売写真の証拠調がなされ(なお、同公判期日において、検察官は、第一行為を訴因に追加する旨訴因変更の請求をしたが、結審段階であること等を理由に許されなかった。)、第二〇回公判期日に弁論が終結され、第二一回公判期日に前記有罪判決が言い渡された。

6  次いで、刑事控訴審の審理は、昭和五一年一月二八日の第六回公判期日で弁論が終結され、同年四月五日に前記無罪判決が言い渡された。刑事第一審判決は、被上告人自身が山川巡査部長に対し殺意をもって暴行を加えた事実の立証がない(第二行為は消火行為である。)としながらも、被上告人と覆面姿の二、三の者、更にその他の数名の者との順次共謀を認めて前記のとおり被上告人を傷害致死罪で有罪としたのに対し、刑事第二審判決は、殺人と目される第二行為及び順次共謀のいずれの事実をも認めず、刑事第一審判決が訴因に掲げられていない第一行為について共謀の事実を認めたのは、審判の請求を受けない事実について判決をした違法があるとして、右第一審判決を破壊し、被上告人を無罪としたものである。

二原審は、右事実関係に基づき、次の理由により、検察官の本件公訴の提起・追行は違法であると判断した上、被上告人が上告人に対し、沖縄の政府賠償法(一九五六年立法第一七号)、沖縄の復帰に伴う特別措置に関する法律(昭和四六年法律第一二九号)及び国家賠償法に基づき、慰謝料金三〇〇万円及び弁護士費用金五〇万円並びに慰謝料額に対する昭和四六年一二月八日(本件公訴提起の日)から支払ずみまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で、被上告人の本訴請求を認容すべきものとし、これと同旨の第一審判決を正当として控訴棄却の判決をした。

1  まず、被上告人が起訴された当時において、検察官のした証拠の検討及び評価の適否について考えてみると、

(一)  平野写真は、吉川フイルムと比較すると、その証拠価値は減殺され、同フイルムの撮影者吉川正功を取り調べていれば右の判断は確実なものになったのに、捜査に非協力的であったとはいえ、吉川正功を取り調べることなく、平野写真に証拠価値があると判断したのは相当でない。

(二)  読売写真の下段の写真自体に被上告人の暴力行為は写されていないし、吉川正功や前田孝らから事情を聴取していれば右写真に証拠価値がないと判断し得たのに、これを取り調べることなく、右写真に証拠価値があると判断したのは相当でない。

(三)  宇保供述は、宇保が目撃した位置等により、被上告人の行為を暴行とも救助行為ともとりうる状況下であったのであるから、検察官は、同供述の信用性を吉川正功や前田孝らを取り調べることによって確かめるべきであったのに、これをしないで右供述に証拠価値があると判断したのは相当でない。

(四)  前川供述は、被上告人の行為について具体的に供述していないのであるから、これに証拠価値があると判断したのも相当でない。

したがって、検察官が、右捜査をし、収集した証拠について検討して合理的に判断していれば、被上告人の第二行為は、検察官が訴因として特定した公訴事実では、殺人罪は勿論、傷害致死罪でも起訴しうる事案でないことが判断し得、有罪判決を期待する合理的理由が存したとはいえないから、第二行為を訴因としてなした本件公訴の提起は違法である。

2  また、公訴の提起が違法な場合は、原則として公訴の追行も違法となり、例外的に公訴の追行過程で新たな証拠が収集され、有罪判決を期待し得る合理的な理由が具備された場合は、たとえ無罪の判決が確定しても、右追行に違法があったとはいえないが、本件においては、検察官による公訴の追行過程において、有罪判決を期待しうる新たな証拠は収集されなかったものであるから、本件公訴の追行も違法である。

三しかしながら、原審の右判断は是認することができない。その理由は、次のとおりである。

1  刑事事件において無罪の判決が確定したというだけで直ちに公訴の提起が違法となるということはなく、公訴提起時の検察官の心証は、その性質上、判決時における裁判官の心証と異なり、右提起時における各種の証拠資料を総合勘案して合理的な判断過程により有罪と認められる嫌疑があれば足りるものと解するのが当裁判所の判例(最高裁昭和四九年(オ)第四一九号同五三年一〇月二〇日第二小法廷判決・民集三二巻七号一三六七頁)であるところ、公訴の提起時において、検察官が現に収集した証拠資料及び通常要求される捜査を遂行すれば収集し得た証拠資料を総合勘案して合理的な判断過程により有罪と認められる嫌疑があれば、右公訴の提起は違法性を欠くものと解するのが相当である。したがって、公訴の提起後その追行時に公判廷に初めて現れた証拠資料であって、通常の捜査を遂行しても公訴の提起前に収集することができなかったと認められる証拠資料をもって公訴提起の違法性の有無を判断する資料とすることは許されないものというべきである。

これを本件についてみるに、原判決は、検察官が本件公訴の提起時において、吉川フイルムの撮影者である吉川正功と前田写真の撮影者である前田孝を取り調べることなく、平野写真、読売写真及び宇保供述に証拠価値があると判断したことの違法をいうが、原審は、本件につき検察官が公訴の提起前に通常要求される捜査を遂行したものであるか否か、吉川正功及び前田孝の両名を取り調べなかったことが捜査を怠った結果であるか否かについて十分な検討を加えていない。この点につき、記録によれば、一審及び原審証人高江洲歳満(起訴当時、那覇地方検察庁検察官)、一審証人嘉手苅福信(捜査当時、沖縄県普天間警察署刑事課長)は吉川フイルムを撮影した吉川正功から撮影時の状況を聴取するため、検察庁及び警察署を通じ本人に対し直接、又は全沖縄軍労働組合事務局等を通じて何度か呼出をしたが、同人は一度も呼出に応ぜず、同人の協力が得られなかったこと、右捜査当時、沖縄返還協定の批准に批判的な市民感情等から、沖縄の報道機関、カメラマンや一般市民は本件事件の捜査に極めて非協力的であったこと、吉川フイルムは第二行為を直接立証するものではないが、平野写真と撮影時点が完全に一致するものではなく平野写真の証拠価値を減殺するものではないと考えた旨をそれぞれ証言している。また、記録によれば、検察官が公訴の提起前に前田写真を撮影した前田孝を現実に取り調べることが困難であったことが窺われ、したがって、検察官は公訴の提起時に通常要求される捜査を遂げたものであって、吉川正功及び前田孝の両名を取り調べなかったことが捜査を怠った結果でないことが窺われるのである。

更に、原審認定の事実関係によれば、検察官は、本件公訴の提起に当たり、与儀公園の総決起大会から本件事故現場までのデモ行進と共にした被上告人の行動の経過を検討した上、収集していた警察官作成の捜査関係書類、供述調書、写真、フイルム、証拠物など多くの証拠を検討し、とりわけ平野写真、読売写真、宇保供述及び前川供述が重要な証拠であると判断し、被上告人に対し有罪と認められる嫌疑があるとの心証を持つに至ったものであるが、原審は、検察官が右心証を持つについて右各証拠の証拠価値を具体的にどのように審査したかなど、その判断過程が合理的なものであったかどうかについて十分な検討をしていない。この点につき、記録によれば、一審及び原審証人高江洲歳満は、公訴の提起に当たり、宇保供述の信用性を確かめるため、その供述調書作成前、自ら、宇保を第二行為の時間帯に合わせて本件事故現場の交差点に連れて行き、その供述どおり塀の上から事件現場を見て、山川巡査部長の倒れていた位置と宇保の目撃した位置が垂直で、しかもその間に遮るものがなく、日没直後の薄明現象による明るさで約一〇メートルの距離からでも第二行為の模様を目撃することができることを確認し、かつ、右供述に副う平野写真をも参考にして宇保供述を信用した旨を証言している。また、同証人は、公訴提起前、平野写真の撮影者平野富久宅に何度も赴き、同人から平野写真のネガを受け取った際、平野写真の撮影方向、撮影時間及び撮影内容を聴取したこと、平野は、右写真は被上告人が山川巡査部長を踏みつけている写真であることを明言した旨を証言している(現に、宇保及び平野は、本件刑事被告事件の公判廷でも右供述及び右聴取の結果と同趣旨の証言をしている。)。そして、宇保供述及び平野写真について以上の検討を経たものであるならば、右各証拠と、読売写真、前川供述並びに本件公訴の提起時において検察官が現に収集したその他の証拠資料をも総合勘案すれば、公訴提起当時、第二行為について有罪と認められる嫌疑があったことが窺われるのである。しかるに、原審は、右各証拠の証拠価値等について十分な配慮を示すことなく、公訴の提起後その追行時に公判廷に初めて現れた吉川証言、前田証言等の証拠によって事後的に判明した事情をもって前記宇保供述、平野写真等の証拠価値を否定し、本件公訴の提起についての違法性の有無を判断している。

2  次ぎに、公訴追行時の検察官の心証は、その性質上、判決時における裁判官の心証と異なり、公訴追行時における各種の証拠資料を総合勘案して合理的な判断過程により有罪と認められる嫌疑があれば足りるものと解するのが当裁判所の判例(前記第二小法廷判決)であり、公訴の提起が違法でないならば、原則としてその追行も違法でないと解すべきところ、記録によれば、本件では、本件刑事被告事件の審理の過程で、宇保及び平野が捜査段階の供述又は聴取の結果と同趣旨の証言をした等の事実により、検察官が公訴の提起時において重要な資料とした宇保供述や平野写真等の証拠価値が公判廷で一層強められたと確信し、客観的に有罪と認められる嫌疑があると考えたことに合理的な理由があり、右公訴の追行に違法性を欠くことが窺われるのである。

四してみれば、右の諸点を検討しないで、検察官の本件公訴の提起・追行をもって違法性があるとした原判決には、国家賠償法一条一項の解釈適用を誤ったか、又は審理不尽、理由不備の違法があるものというべきであり、右の違法は判決の結論に影響を及ぼすことが明らかである。したがって、この点の違法をいう論旨は理由があり、原判決はその余の点について判断するまでもなく破棄を免れない。そこで更に審理を尽くさせるため、本件を原審に差し戻すのが相当である。

よって、民訴法四〇七条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官大内恒夫 裁判官角田禮次郎 裁判官佐藤哲郎 裁判官四ツ谷巖 裁判官大堀誠一)

上告代理人藤井俊彦、同篠原一幸、同小野拓美、同土屋東一、同牧野広司の上告理由

原判決は、国賠法一条一項の解釈適用を誤り、かつ、採証法則に違背し、理由不備及び審理不尽の違法を犯したものであり、これが判決の結果に影響を及ぼすことは明らかである。

一1 原判決は、本件、すなわち昭和四六年一一月一〇日、沖縄県祖国復帰協議会主催のデモ行進の警備に当たっていた琉球警察警備部隊所属の巡査部長山川松三が、数名の過激派の者らに捕捉され、棒で殴打されたり足蹴りにされ、さらに火炎びんを投げつけられる等の暴行を受けて殺害されるという事件が発生し、被上告人が右過激派の者と共謀の上右殺人事件を犯したものであるとの嫌疑で起訴されたところ、検察官の不用意な釈明によって、被上告人の分担した実行行為につき、被上告人の自供していた足蹴り行為が訴因から除外された結果、少なくとも傷害致死罪では有罪となり得る事犯に無罪判決が宣告された(原判決書②―1丁表三行目から②―2丁表四行目、②―3丁表五行目から②―4丁裏七行目、②―5丁表四行目から六行目、②―26丁表一一行目から同丁裏六行目、以下原判決書を「判決書」という。)という甚だ特異な事案について、検察官の公訴の提起・追行に違法、過失があるとして上告人に国賠法一条一項の責任を肯定したものである。

すなわち、詳しく本件の内容をみると、その経過は次のとおりである。被上告人に対する殺人被告事件(本件刑事事件)につき、担当検察官は、「被告人は、かねてより警察権力に反感を抱いていたものであるが氏名不詳の者数名と共謀の上、一九七一年一一月一〇日午後五時五〇分頃、浦添市勢理客一番地中央相互銀行勢理客出張所先交叉点道路上に於いて、警備の任に当っていた琉球警察警備部隊第四大隊第二中隊第二小隊所属巡査部長山川松三(当四九年)を殺害せんと企て、同人を捕捉し、角材・旗竿で殴打し、足蹴し、顔面を踏みつけた上、火炎瓶を投げつけ、焼く等の暴行を加え、よって右警察官を前記日時頃、前記同所に於いて、脳挫傷、蜘蛛膜下出血等により死亡させて殺害したものである。」との公訴事実をもって被上告人を起訴したのであるが、その第一回公判期日において、弁護人の求釈明に対し、「(一)本件殺人の共謀とは、実行行為共同正犯の意である。(二)本件の共謀の具体的日時場所は、起訴状中の同人を捕捉し、角材旗竿で殴打し、足蹴にしているのを認めて、そこで数名の者と共謀して殺意を生じたのである。(三)本件における被告人の具体的行為は、炎の中から炎につつまれている山川松三の肩をつかまえてひきずり出し顔を二度踏みつけ脇腹を一度蹴った行為である。」と釈明し、冒頭陳述で、「午後四時頃、友人と共に与儀公園に至り集会に参加した。その後デモに移り、徒歩で牧青集団の近くを安謝迄同行した。安謝橋を過ぎ、勢理客交番近くまで致り、同所でドクロ覆面をした集団が交番所機動隊に攻撃を開始したのち、午後五時五〇分頃、多数の者で機動隊員をとりかこみ、滅多打ちしているのを目撃し、同人等と有無相通じ、その肩を掴えて、炎の中から右警察官をひきずり出し、顔面部を二度踏みつけ、脇腹附近を一度足蹴りしてその場を離れた。」と陳述した結果、審理の対象となるべき被上告人の実行行為としては、起訴状記載の訴因から、火炎びん投てき前に被害者の右腰部を右足で蹴った行為(以下「第一行為」という。)が除かれ、右火炎びん投てき後において、炎につつまれている被害者の肩をつかまえて引きずり出し、顔を二回踏みつけ、脇腹を一回蹴った行為(以下「第二行為」という。)だけに減縮されたものとして公判の審理が進められた(以上、判決書②―1丁表四行目から同丁裏五行目、②―4丁表八行目から九行目)。公判審理の推移にかんがみ、検察官はその第一審第一八回公訴期日において、被上告人の分担した殺人の実行行為として「山川松三の腰部付近に足げにし路上に転倒させたうえ」を追加し、被上告人の実行行為を「山川松三の腰部付近を足げにし路上に転倒させたうえ、炎の中から炎に包まれている山川松三の肩をつかまえて引きずり出し、顔を二度踏みつけ、脇腹を一度蹴った行為」とする訴因の追加的変更請求をしたところ、裁判所は右請求を結審段階にあるとの理由から不許可にしたものである(甲第八二号証)が、第一審判決(乙第五六号証)は、第一行為を共犯者らとの現場共謀を推認させる間接事実としてとらえ、罪となるべき事実として、「被告人は、一九七一年一一月一〇日午後五時五〇分ころ、沖縄県祖国復帰協議会主催の沖縄返還協定批准に反対し完全復帰を要求する集団示威行進に加わって、浦添市字勢理客一番地の中央相互銀行勢理客出張所交叉点にさしかかった際、白ヘルメットを被り覆面をした者など二、三名が、同所で警備の任に当っていた琉球警察警備部隊に属する巡査部長山川松三(四七歳)の腕を捉え、その身体を振りまわし、こん棒で殴打するなどしているのを見て、かねて警察権力に反感を抱いていたところから、相呼応して協力し合う気勢を示して、暗黙裡に右二、三名の者との間に意思を相通じ、共謀のうえ、右二、三名の者が殺意をもって右山川をこん棒で殴打したうえ、その場に駆け寄ってきた覆面姿の者ら数名との間に意思を相通じ、右二、三名の者らと右数名の者が殺意をもってその場に倒れた山川をとり囲み、こもごもこん棒、角材等で殴りつけ、足蹴にし、その身体を踏みつけ、さらに同人めがけて火炎びんを投げつけてその身体を火で包む等の暴行を加え、よって、そのころ同所で同人を脳挫傷、クモ膜下出血等に基づく外傷性脳障碍によって死亡するに至らしめて殺害したが、被告人は同人に対し傷害を負わせる認識を有していたに留まったものてある。」と認定し、沖縄の刑法六〇条、一九九条、三八条二項、二〇五条等を適用(殺人罪に該当するが、科刑上は傷害致死の法定刑で処断)して、被上告人に懲役一年執行猶予二年の有罪判決を言い渡した。

この判決については被上告人より控訴の申立てがあり、その控訴審判決(甲第一号証)は、原判決を破棄し、無罪を言い渡したのであるが、その理由とするところは、「原判決挙示の関係各証拠を総合すれば、被告人が原判示勢理客交差点において機動隊員を一回足蹴りにしたこと、その機動隊員が原判示山川松三巡査部長であることが明らかに認められる。」と、被上告人が第一行為を実行したことを認定した上、「原判決は、『共謀』の相手方とその成立時点とを遡らせて、『被告人は、消火行為に出る少し前に被害者を一回足蹴にしていることが明らかである。』とし、関係各証拠によれば、『覆面姿の者ら二、三名に捕捉された被害者が、彼らからこん棒で殴打され、ふりまわされるなどして、くずれるように倒れかかったところを、そのような事情を認識したうえで蹴ったものと認めるのが相当である。』としたうえ、『機動隊員に対する攻撃的雰囲気が附近のデモ参加者らの間に漲っていたと考えられる中で、前記のとおり警察権力に対する反感から、右のように暴行を受けて、くずれるように倒れかかっている被害者を蹴った被告人は、右覆面姿の者ら二、三名と相呼応し、彼らと一緒になって被害者に攻撃を加えようとする気勢を示してその意思を発現したものというほかなく、法律上『共謀』と十分に評価しうる意思連絡が、被告人と右二、三名の間に成立したことは否定することができないというべきである。』と断じた。してみると、原判決が、罪となるべき事実に掲げたところの、被告人が『相呼応し合う気勢を示し』たことは、具体的には、被告人が、『消火行為に出る少し前に被害者を一回足蹴にしていること』そのことに尽き、この事実を除いては他に何らの徴表事実のないことが明らかである。そうして、原判決は、この足蹴り行為によって他の者との傷害の意思連絡即ち共謀を導き、殺意をもって暴行に及んでいる他の者との順次共謀を認定した結果、傷害致死罪に問擬したこともその判文上明白である。しかしながら殺人の実行共同正犯とされた本件の訴因においては、被告人が殺意を生じ、かつ他の者らと共謀即ち殺害の意思連絡をした時点は、(中略)炎に包まれている被害者を被告人がその肩をつかまえて炎の中から引きずり出した段階に接着する時点であって、それ以前の、少なくとも被告人が右足蹴り行為をした時点にまで遡るものではないことが明瞭であり、従って右足蹴り行為は、いかなる意味においても、本件『共謀』の訴因外の事実といわなければならない。のみならず、右足蹴り行為が、前記問題の行為を殺害行為と認定するための間接事実としてとらえられ、それゆえなんら訴因に掲げられなくともよいとしても、原判決の如く傷害致死罪を以て問擬する限りは、一あって二なき実行行為ないし共謀の事実にほかならないから、当然訴因に掲げられなくてはならない。このようにみてくると、原判決は、前記のような経緯で検察官が特定し、原審裁判所自体厳格にこれに依拠した筈の訴因の範囲を逸脱して審判したとのそしりを免れることはできず、刑訴法三七八条三号後段にいわゆる審判の請求をうけない事件について判決したものというべきである。」とするものであり、右判示からみても、検察官において前記の釈明の際、第一行為を訴因として明示するか、訴訟の早い段階において第一行為を訴因に追加変更する手続をとっておれば、本件公訴事実については、少なくとも殺人罪(科刑上傷害致死罪)で有罪となったことは明らかである。

以上のように、本件刑事事件は、本来有罪であるべき被上告人が、検察官の不用意な釈明に起因して、受くべき法の指弾を免れるに至ったという甚だ特異な事案であることがまず認識されなければならない。

2 原判決は、右のように特異な事案につき、上告人に大して国賠法一条一項の責任を肯定したのであるが、公訴提起・追行の違法、過失を具体的に判断するに当たり、資料とすべからざる資料によって有罪の嫌疑の有無を検討し、かつ、右嫌疑の程度を法の要求するところより極めて高度に解し、また、有罪の嫌疑は公訴事実について存すれば十分であるのに、前記第二行為についてのみ考察している。これらは、国賠法一条一項の解釈適用を誤り、採証法則違背、理由不備の違法を犯したものであり、さらに、第二行為による有罪の嫌疑がないとしたのは、採証法則違背の違法がある。以下項を改めて、各論点について詳述する。

二 原判決は、検察官の公訴の提起に際し要求される「有罪と認められる嫌疑」の程度について、法の要求するところより極めて高度のものを要求し、かつ、通常の検察官では起訴時までの取調べにより入手検討することの到底期待できない資料によって、公訴提起の違法性、過失の有無を判断し、第二行為につき有罪と認められる嫌疑がなかったと認定するという判断の誤りを犯しており、これらは、国賠法一条一項の解釈適用を誤り、採証法則違背の違法を犯したものである。

1 検察官の公訴提起の違法性の判断基準については、無罪判決が確定したとしても、直ちに、公訴の提起が違法となるということはなく、起訴時における各種の証拠資料を総合勘案して合理的な判断過程により有罪と認められる嫌疑があれば違法ではないとするのが通説・判例である。この点について、最高裁昭和五三年一〇月二〇日第二小法廷判決(民集三二巻七号一三六ページ)も、「刑事事件において無罪の判決が確定したというだけで直ちに起訴前の逮捕・勾留・公訴の提起・追行、起訴後の勾留が違法となるということはない。けだし、逮捕・勾留はその時点において犯罪の嫌疑について相当な理由があり、かつ、必要性が認められる限りは適法であり、公訴の提起は、検察官が裁判所に大して犯罪の成否、刑罰権の存否につき審判を求める意思表示にほかならないのであるから、起訴時あるいは公訴追行時における検察官の心証は、その性質上、判決時における裁判官の心証と異なり、起訴時あるいは公訴追行時における各種の証拠資料を総合勘案して合理的な判断過程により有罪と認められる嫌疑があれば足りるものと解するのが相当である。」と判示しているところである。そもそも刑事手続における実体形成は、捜査の当初における捜査機関の主観的嫌疑(刑訴法一八九条二項参照)から公訴提起における客観的嫌疑(同法二五六条参照)を経由して、最後に有罪判決における犯罪の証明及び刑罰法規の具体化(同法三三三条、三三五条参照)にいたるまで、証拠資料を集積しながら漸次発展し形成されていくものであるから、公訴提起に要求される犯罪の嫌疑の程度は、有罪判決に要求される嫌疑の程度(合理的な疑いを容れない程度の確信)より当然低いもので足りるのである(最高裁判所判例解説民事篇昭和五三年度四七〇ページ参照)。

しかも、このような刑事訴訟の動的発展的性格からして、起訴時における検察官の判断資料と一審さらに控訴審の公判終結時における各裁判所の判断資料とは、刑訴法における当事者主義及び証拠能力の厳格な制限から、一致するとは限らず、かえって新証拠の出現、既存証拠の証明力の増強、減殺等によって、証拠資料は質的にも量的にも変動するのが通常である。したがって、公訴提起に国賠法一条一項の違法、過失があったかどうかを判断する場合、公訴提起に要求される犯罪の客観的嫌疑の有無は、原則として「起訴時における各種の証拠資料」すなわち、起訴時を基準として検察官において既に収集していた証拠資料及び公判審理の過程で収集(証拠化)可能と考えていた証拠資料を総合して判断すべきである。検察官が起訴時に収集しておらず、公判審理の過程で弁護側申請の証拠としてはじめて顕出された証拠資料は、原則として判断資料とすべきではなく、検察官が起訴時までにこれらの証拠について捜査しなかったことに職務上の義務違背があると認められる場合、すなわち、起訴時までに収集された証拠資料及び被疑者の供述などを総合して、通常の検察官において公訴提起の可否を決定するに当たり当該証拠が必要不可欠と考えられ、捜査を尽くす職務上の注意義務があり、かつ、当該証拠について捜査することが可能であるにもかかわらずこれを怠ったなど特段の事情が認められる場合に限って、公訴提起に要求される犯罪の客観的嫌疑の有無の判断資料に供し得るのである。そして犯罪の嫌疑が十分であるかどうかの心証形成については、「刑事訴訟法は、裁判官による証拠の評価につき自由心証主義を採用しているから、人によって証拠の証明力の評価の仕方に違いがあるため、一定の証拠によって形成される心証の態様・強弱の程度についても、ある程度の個人差が請じることを避け難い。裁判官と検察官の間においても、立場の相違から証拠の見方や心証の強弱に差異がないとはいえない」(札幌高裁昭和四八年八月一〇日判決・判例時報七一四号一七ページ)のであるから、検察官の公訴の提起に違法があるというためには、検察官において犯罪の嫌疑を認めた判断が、前述の公訴提起の違法性の判断資料に供し得る各種の証拠資料を総合して「証拠の評価について通常考えられる右の個人差を考慮に入れても、なおかつ行き過ぎで、経験則、論理則に照して、到底その合理性を肯定することができないという程度に達していることが必要である」と解すべきである(前記札幌高裁判決、同旨東京高裁昭和四五年八月一日判決・判例時報六〇〇号三二ページ、東京高裁昭和四六年一二月九日判決・判例時報九二四号六四ページ等参照)。

2 しかるに、原判決は、公訴提起の違法性、過失の判断基準について、一般論としては、「起訴時又は公訴追行時における各種の証拠資料を総合勘案して、合理的な判断過程により有罪と認められる嫌疑があれば検察官に過失がないと解するのが相当である」と判示し(右判示基準からすると、過失ではなく、違法性の問題として考察すべきであるが、それはともかくとしても)ているが、これを具体的に適用するに当たっては、次のとおり、検察官が起訴時までに収集し、有罪と認められる嫌疑の根拠とした証拠資料の証拠価値を、刑事第一審の弁護人側の立証によってはじめて顕出された証人吉川正功、同前田孝、同宮城悦二郎の各証言でもって減殺し、しかも公訴の提起に極めて高度の嫌疑を要するものとしているのである。

3 原判決は、「検察官による本件公訴提起の違法性の有無について」と題して、「第二行為が、被控訴人が山川巡査部長に対し加えた踏みつけた行為及び蹴った行為であると認めうるかのような証拠として、①平野写真No15(前掲甲第五〇号証中添付写真15、乙第四三号証中添付写真15、同乙第四五号証中添付写真一一枚目)、②平野証言(前掲甲第三四号証、第三七号証)、③宇保供述(前掲乙第二九ないし第三一号証)、宇保証言(前掲甲第五三号証)、④前川供述(前掲乙第二八号証)、⑤鑑定書(前掲甲第二七号証)、⑥読売写真(前掲甲第八六号証、乙第四一号証中読売新聞掲載写真、乙第四五号証中写真一〇枚目)がある。」と判示し(判決書②―6丁表九行目、②―9丁表一〇行目から裏八行目)た上、右の各証拠資料について検討しているのであるが、原判決は、まず、①の平野写真No15について、「同写真は、仰向けに倒れている山川巡査部長の右足の方向から撮影されたものであって、山川巡査部長の右側に炎が上っているため被控訴人の確かな行為はわからないが、被控訴人は、山川巡査部長の左側に位置し、そのそばで右足を上げているところが写されており、そのまま足をおろすと山川巡査部長の左腰部又は腹部に当るのではないかとも思われ、その附近には炎のようなものは右写真では見えないので、被控訴人の右足の上下の行為は消火行為とは言えないのではないかとも思われる。」と判示し(判決書②―10丁表四行目から裏二行目)、②の平野証言について、「刑事第一審第七、第八回各公訴期日に証人として尋問を受け、被控訴人や山川巡査部長から三ないし五メートル離れた距離で写真を撮影し、被控訴人が山川巡査部長を踏みつけるのを見た、平野写真No15がそのときの写真であり、山川巡査部長の右足の方向から目撃し、撮影した旨証言したことが認められる。」と判示している(判決書②―12丁裏九行目から②―13丁表四行目、なお、原判決は検察官が平野富久を取調べていないと認定している((判決書②―12丁表七行目から九行目))が、検察官が本件起訴前において、右平野から本件目撃状況及び平野写真No15の撮影状況等について取調べをなし、同写真は被上告人が山川巡査部長を踏みつけているところを写した写真であることを確認し、メモを作成していることが証拠上明白である((高江洲歳満の第一審における昭和五三年八月二二日付け証人調書添付の速記録二九丁裏から三二丁表))ので、この認定は採証法則に違背するものである。)。

次に、③の宇保供述に関しては、「宇保供述及び宇保証言による、宇保賢二は、本件当日、たまたま勢理客交差点を通りかかって本件事件を、被控訴人のいたところから約一〇メートル離れたところにある高さ一.七〇ないし一.八〇メートルあるブロック塀の上で、倒れていた山川巡査部長の足の方向から目撃たものである。捜査段階での三回の供述、刑事第一審での証言は、被控訴人の暴行の態様(踏んだか、蹴ったか)、山川巡査部長の暴行を受けた部位(頭か、顔か、腹か)に食い違いはあるが、被控訴人が、右足で、山川巡査部長の頭又は顔及び腹を、数回踏んだり蹴ったりして暴行したという点では一貫していることが認められる。」と判示し(②―16丁表七行目から裏六行目)、⑤の鑑定書については、「鑑定書によると、山川巡査部長の頭部、顔面、胸腹部に多くの損傷があり、左右の肋骨骨折も存在することが認められる」と判示し(判決書②―17丁裏八行目から一〇行目)、⑥の読売写真にてついては、「読売写真上段は、前掲甲第八九号証によれば、昭和四六年一一月一九日に、被控訴人が、第一行為に関するものであるとして山川巡査部長の腰部附近を足蹴りしたことを認めた写真であって、第二行為に関するものではなく、同下段の写真は、それ自体から第二行為に関するものと推測されるが、被控訴人の暴力行為の情景は写されていない」と判示している(判決書②―18丁表九行目から裏四行目)。他方、被上告人の捜査段階の供述は変転を重ねており、原判決も、「被控訴人は、捜査の段階で、第一行為の山川巡査部長の腰部附近を一回蹴った行為をも否認していたが、昭和四六年一一月一九日になって、読売写真を示されてこれを認めるようになり、第二行為については、当初、助けたいと思ったが着衣に火をかぶっては危険だと思ったので何もすることができず見ているだけだったと述べ、当月二〇日になって、手をさしのべて火の中から警察官を助け出そうとしたが、靴の底に火が着いていたし自分自身火をかぶるのではないかと思い、助け出すのを断念したと述べ、同月二一日には、警察官をひっぱり出そうと手を出しかけたが、火の勢が激しく靴の底の火を地面にたたいて消すのに精一杯で助けるのを断念したと述べ、同月二九日には、警察官を引き出して火を消そうと思ったがやむなく断念し、靴についた火を消し、そのあとで、足で道路と倒れている警察官とに火がついている間を消そうとしたと述べ、自己のための消火行為から山川巡査部長のための消火行為をも述べるようになった。そして、終始山川巡査部長を助けたいと思ったと述べながら、火の中から山川巡査部長を引きずり出したことは述べられなかったことが認められる。」と判示しているところである(判決書②―20丁裏八行目から②―21丁裏六行目)。

以上指摘の原判決判示からも明らかなように、平野写真No15、平野供述及び宇保供述により被上告人が第二行為をなしたことは直接立証でき、鑑定書記載の傷害の部位は第二行為を裏付けるものであり、読売写真の上段のものは、被上告人がなした第一行為の写真ではあるが、この第一行為に接着している第二行為推認の資料となり得るものであり、さらに、被上告人にとって弁解の余地のない第一行為についてさえ被上告人は当初頑強に否認していたこと、第二行為についても次々と弁解を変転させていることを考慮すると右の各資料を総合勘案すれば、「合理的な判断過程により有罪と認められる嫌疑」は悠に存在するのである。

加えて、原審としては、平野写真No15について、被上告人だけでなく、その周囲にはどのような状況が写されているのか、特に共犯者と思われる者は、被害者に暴行を加えている状況は窺えないか、被上告人の体勢は、他の者との関係でどのように評価するのが最も合理的であるか、検察官は、いつ、どのようにして、同写真や宇保供述の信ぴょう性について検討を加えたのか等の諸点について審理を加え、その上で被上告人が第二行為をなしたか否かを判断するのが当然であるのにこの審理を怠っている。そして、同写真については、上告人が、原審において、つとに強調したとおり、「仰向けに横たわった被害者の上半身寄りの左側にほぼ密接して位置した被上告人が、炎の上がっていない山川巡査部長の身体の上部で右足を曲げて前方に上げている状態が写され」ているだけではなく、「山川巡査部長の上半身右側に位置して黒っぽい上着の白ヘルメットを着けた者が、右足を山川巡査部長の上半身方向に振り上げている状態、そして、この者と被控訴人との間にいる白っぽい上着の白ヘルメットを着けた者が、両手に一本ずつ棒を持ち、右手に持った棒を山川巡査部長の倒れている方向へ振りおろしているかの如き状態が写されている。」のであり(判決書20丁表三行目から裏二行目)、かつ、前記のとおり、起訴以前に、同写真の撮影者である平野富久からは、同写真は、被上告人が山川巡査部長を踏みつけている写真であることを明確に聴取、確認し(以下「平野供述」という。)ており(高江洲歳満の第一審における昭和五三年八月二二日付け証人調書添付の速記録二九丁裏から三二丁裏)、また、宇保供述の信ぴょう性の判断に当たっては、検察官は宇保をその目撃時間帯に現場に連れて行きその目撃状況に検討を加えて信ぴょう性が高いものと判断している(高江洲歳満の第二審における昭和五七年五月一八日付け証人調書添付の速記録二六丁裏から二九丁表)のである。しかして、右の平野写真No15に写っている被上告人の体勢、周囲の者の状況、平野供述、宇保供述等は相互に補強し合う関係にあるのであって、これらを総合すると、起訴検察官において、被上告人が第二行為を敢行した嫌疑が十分にあると判断したのは、合理的なものであったことが明らかといえよう。

4 しかるに、原判決はまず、平野写真No15について、「平野写真をもって事実を認定するには、吉川フイルム(前掲甲第一五九号証、検甲第一、第二号証、検証の結果、証人吉川正功の証人調書添付写真)と比較検討する必要がある。吉川フイルムは、山川巡査部長の右頭部方向から左頭部方向に移動しながら撮影したものであって、平野写真と吉川フイルムに写っている人物、その服装、動き、所持している棒等から見て、時間的に全く同時点であるかどうかは断定しえないにしても、被控訴人の前記手記、供述調書、供述等からすると、被控訴人が足を上下させたのは、数秒の間であったと認められるので、平野写真と吉川フイルムとは数秒とは違わない時刻に写したものであると認められ、そして、吉川フイルムによると、被控訴人の足は路面及び山川巡査部長の左手附近におろされ、その路面に火が認められるし、足が山川巡査部長の身体に接しているとは認め難いのである。」とし(判決書②―10丁裏三行目から②―11丁表七行目)た上、「平野写真No15は、第二行為を認めるに足りる証拠ではないといわなければならない。」と判示し(②―12丁裏三行目から四行目)、さらに、「平野写真は、前述のとおり高江洲検事が証拠価値を否定した吉川フイルムと比較検討すると証拠価値は減殺されるものであり、更に吉川フイルムの撮影者吉川正功を取調べていればその判断は確実なものとなったことが推測されるのである。したがって、高江洲検事が、吉川フイルムの証拠価値を検討しながら、これのみを否定し、平野写真に証拠価値があると判断したり、捜査に非協力的であったとはいえ吉川正功を取調べることなく平野写真に証拠価値があると判断したのは相当でない。」(判決書②―24丁表一一行目から裏八行目)と結論づけている。原判決は、「平野写真と吉川フイルムとは数秒と違わない時刻に写したものである」ことを前提として、吉川フイルムにより平野写真No15の証拠価値を減殺しようとしているのであるが、右の前提を支えんがため「被控訴人の前記手記、供述調書、供述等からすると、被控訴人が足を上下させたのは、数秒の間であったと認められる」と判示している。しかしながら、この事実は起訴時点の証拠資料をもってしてはどこからも認められないところであって、原判決には採証法則に違背し、「起訴時における各種の証拠資料」に含まれない証拠に基づき判断した誤りがある。しかも、右の判示とは逆に、宇保供述等からは、むしろ前記のとおり、被上告人が被害者を踏んだり蹴ったりしたのは数回であることが認められるのであるから、被上告人が足を上下させたのが数秒間以上であることは十分合理的に推認できるのであり、(のみならず、被上告人は、前記のとおり弁解を変転させながら、第二行為の否認を続けていたのであるから、仮に、被上告人が原判決認定のとおり供述していたとしても、この供述を措信し得ないとする方が合理的である。)上告人が、つとに原審で主張したように、「吉川フイルムは、右写真と同一場面を角度を変えて同時に撮影されたものとは断定しえない。」と判断するのが自然、かつ、合理的であり、さらに、「吉川フイルムは、被控訴人の動作を正確に把握し難い位置からわずかに三秒間足らずの情景を写したもので、被控訴人と認められる者の行為はその情景自体によっても極めて紛らわしい。全体的にみて山川巡査部長の身体のうちで炎の燃えているのは主に身体の中央から右側面にかけてであって、被控訴人は炎のほとんど上がっていない山川巡査部長の左側面に位置して足を上下に移動させているが、足の踏みおろされている箇所が明確でなく、その行為が消火行為か加害行為かは断定し難い。」のであって(判決書20丁裏七行目から21丁表七行目)、この吉川フイルムが平野写真No15の証拠価値を減殺するとは到底いい難いのである。

また、原判決は右の証拠価値を減殺するにつき、「吉川正功を取調べていればその判断は確実なものになったことが推測される」ので「吉川正功を取り調べるべることなく平野写真に証拠価値があると判断したのは相当でない。」と結論づけ、結局、刑事第一審の訴訟段階に初めて出現した吉川正功の証言によって平野写真No15の証拠価値を否定しているのであって、ここに原判決の基本的な誤りがある。右吉川証人については、起訴以前においては取調べできなかったものであり、原判決が同人の証言を資料に用いたことの誤りについては後に詳述する。

次に、②の平野証言については、「同人は、被控訴人が山川巡査部長を引きずり出した事実については気づいていないし、第七回公判期日の証言と第八回公訴期日の証言とを比較すると食い違っている部分がある。更に、前掲甲第六七号証、第一二九号証、当審証人前田孝の証言(以下これらを「前田証言」という。)、前掲甲第七三号証、第一二五号証、原審証言吉川正功の証言(以下これらを「吉川証言」という。)、前掲甲第七二号証(以下「宮城証言」という。)、前田写真(成立に争いのない甲第八一号証、前掲乙第四五号証中写真一二枚目)、成立に争いのない甲第九〇号証(以下「呉屋写真」という。)を総合すると、前田写真(前田写真は、前掲乙第四五号証、原審証人嘉手苅福信及び同高江洲歳満の証言によると昭和四六年一一月二五日にはすでに警察に入手され、その後、警察及び高江洲検事によって証拠価値が検討されていた。)を撮影した前田孝は、写真業を営むものであるが、被控訴人が山川巡査部長の左側で足を上下させている様子を被控訴人の後方(山川巡査部長の左側ないし頭部側)二ないし三メートル離れた位置で目撃し、写真撮影したものであることが認められるところ、同人は、被控訴人が山川巡査部長に対し暴行を加えたものではなく、炎の中から引き出し消火による救助行為をしたものであるとの趣旨の証言をしており、また、吉川正功は、当時フリーのカメラマンで、前記のとおり山川巡査部長の右頭部方向から左頭部方向に移動しつつ、その二ないし三メートル離れた位置から状況を目撃し、写真撮影をしたものであるところ、同人も被控訴人が山川巡査部長に対し暴行を加えたものではなく、消火による救助行為をしたものであるとの趣旨の証言をしており、更に宮城悦二郎は、当時英字新聞記者であったが、呉屋写真を撮影した呉屋永幸と共に勢理客交差点で、山川巡査部長の左側から被控訴人の行動を目撃したものであるところ、被控訴人が山川巡査部長を火の中から引きずり出して消火による救助行為をしていたとの趣旨の証言をしている。そして、前田証言、吉川証言、宮城証言によると、前田孝、吉川正功、宮城悦二郎は、山川巡査部長に火炎びんが投げられ、炎が上ったので驚いて同所を注視したことが認められるが、前記認定のとおり被控訴人も炎が上ってから同所にかけつけたのであるから、被控訴人が、山川巡査部長を引きずり出す前後に同人に暴行を加えていたとすれば、右前田孝ら三名のうち誰かがこれを目撃していたであろうと思われるのにその旨供述する者はなく、また、被控訴人が山川巡査部長を引きずり出した後は、同人に暴行を加えた者がいるのを見ている者は右三名のなかにはなく、却って、右三名の証人とも、附近にいた者はともに前記認定のとおり消火行為をしていたと述べているのである。最も、平野証言、前田証言、吉川証言、宮城証言には、細部については食い違う部分があるけれども、前記認定のような騒然とした状態にあっての目撃であることを考えると、右食い違いの存在のみをもって、いずれか一を信用し、他を信用せずと即断してしまうわけにはいかない。平野富久、前田孝、吉川正功、宮城悦二郎は、何れも報道関係者、又は、写真家として、目的意識をもって取材、又は、写真撮影に当った者であるから、単なる傍観者と異なり事態を比較的正確に把握したであろうと思われるが、薄明現象があったとはいえ日没後であり、人の動きが激しく、炎の燃え上がる状況のもとでは、目撃者の位置、主観等によって同一事態を異ったものとして認識するに至るものであることもやむを得ない。ただ、平野富久は、山川巡査部長の右足の方向から目撃し、しかもそこに炎が燃え上がっていたのであるが、前田孝、吉川正功、宮城悦二郎は、山川巡査部長の左側から頭側の方向で被控訴人の位置していた側から目撃し、そこには、炎はわずかしか燃えていなかったのであるから、平野富久よりも、より正確に目撃しえたであろうことは容易に考えられることで、平野証言は第二行為を認めるに足りる証拠ではないといわなければならない。」と判示している((判決書②―13丁表四行目から②―16丁表五行目)。右の判示のうち、「同証人は被控訴人が山川巡査部長を引きずり出した事実については気づいていない」との点は、火炎びんが燃え上がり多数の者が激しい動きをしている騒然たる現場の状況を、平野富久自身も場所を動きながら写真撮影していたのであるから、山川巡査部長の動静を一部終始凝視することは通常ありえず、たまたまその場面を見ていなかったということも経験則上当然にあり得ることであり、必ずしも同証言の信用性を減殺することにはならない。「第七回公判期日の証言と第八回公判期日の証言を比較すると食い違っている部分がある。」とする点は、第八回公判期日の平野証言は、弁護人の巧妙かつ執ような反対尋問にさらされた結果、証言が部分的に混乱している点がみられるにすぎないのであって、証言全体を考察すれば、同証人が撮影した一連の平野写真(乙第四三号証)と対比して、その証言の信用性は極めて高いものと評価されるのである。ところで、原判決が平野証言の信用性を否定した最大の理由は、前述の判示から明らかなとおり前田証言、吉川証言及び宮城証言を採用し、これらとの対比において証拠価値を否定したものである。右三名の証人は、検察官が捜査段階において捜査することができなかったものであり、証人前田孝、刑事第一審第一四回公判期日(甲第六五ないし第六七号証)に、証人吉川正功及び宮城悦二郎は、同第一五回公判期日(甲第七〇ないし第七三号証)に、いずれも弁護人申請の証人としてはじめて証言するに至ったものである。これらの証言を採用したことの誤りについては後に詳述する。

次に宇保供述については、原判決は、「山川巡査部長の右側には炎が燃え上がっていて、右側ないしは足側から目撃していた者と、左側ないし頭側から目撃していた者とでは異った見方をしており、薄明現象があったとはいえその時刻ころにはすでに薄暗く、目的意思をもって見ていた者の間でも異った見方をしているのであるから、通りすがりの宇保賢二が傍観者として、一〇メートル離れた位置で山川巡査部長の足の方向から目撃した被控訴人の行為を、それ以前の過激派集団による暴力行為と一連の行為と感じ、混同したのではないかとも推測されるので、右供述や証言は第二行為を認めるに足りる証拠ではないといわなければならない。」と判示し(判決書②―16丁裏七行目から②―17丁表七行目)た上、「宇保供述は、前述のとおり宇保賢二が、報道関係者やカメラマンのような目的意識がなく、やゝ離れて山川巡査部長の足の方向から目撃したもので、炎が上っていて見る方向等によって被控訴人の行為を、暴行とも、救助行為ともとりうる状況下であったのであるから、同人の供述の信ぴょう性を、吉川正功や前田孝らを取り調べることによって確かめるべきであったのに、これをしないで、宇保供述に証拠価値があると判断したのも相当でない。」と判示し(判決書②―25丁表五行目から裏一行目)、結局「右側ないしは足側から目撃した者」すなわち平野富久と「左側ないし頭部から目撃した者」すなわち前田孝、吉川正功、宮城悦二郎とで異なった見方をしているのであるから、宇保が「それ以前の過激派集団による暴力行為と一連の行為と感じ、混同したのではないかと推測される」ので、宇保の供述の信ぴょう性を「吉川正功や前田孝らを取り調べることによって確かめるべきであった」と結論づけているのである。

以上のとおり、原判決は、検察官が起訴時までに収集し、公訴提起に必要な犯罪の嫌疑を認定する根拠とした「起訴時における各種の証拠資料」の証拠価値を刑事第一審の弁護側の立証段階に至って初めて弁護人申請証人として証言した前田孝、吉川正功、宮城悦二郎の証言でもって減殺し、結局、検察官が右三名について、起訴時までに、「捜査をし、収集した証拠について検討し、合理的に判断していれば、被控訴人の第二行為は、同検察官が訴因として特定した公訴事実では殺人罪は勿論、傷害致死罪でも起訴しうる事案ではないことが判断しえたし、したがって、有罪判決を期待する合理的理由が存したとはいえないのに、その証拠に対する評価、経験則の適用を誤ったものといわなければならない。」(判決書②―26丁表四行目から一〇行目)としているのであるが、検察官が右の三名について捜査をしなかったことについては、「一般市民や報道関係者らが捜査に非協力的であったことや当時の沖縄の検察実務を考慮しても、同検事に右各捜査をすべきこと及び右各捜査の完了をまって被控訴人の起訴・不起訴の判断をすべきことを期待しても難きを強いるものということはできない。」と判示する(判決書②―25丁裏一〇行目から②―26丁表三行目)のみで、検察官が、これらの捜査をしなかったことが職務上の義務違反となる具体的理由については何ら判示していないのである。

検察官が右の三名を取り調べなかったことを職務上の義務違反と認めるには、被疑者の身柄を勾留している事件については原則として勾留期間内に捜査を完了する必要があり捜査期間に制約があること、検察官には参考人に対する強制捜査権がなく参考人の協力が得られない場合には捜査することができないこと、裁判官に対する公判前の証人尋問の請求は「犯罪の捜査に欠くことのできない知識を有すると明らかに認められる者」が出頭又は供述を拒んだ場合にしかできないこと(刑訴法二二六条)など捜査上の諸制約を考慮した上で、検察官が捜査過程で既に収集した証拠及び被上告人の当時の供述などを総合して、右の三名の供述が起訴するか否かを決定するについて必要不可欠であって、検察官に右三名の捜査を尽くす職務上の義務があり、かつ、それを期待することが可能であったにもかかわらず、それを怠ったという具体的な事情が認められなければならないのである。そこで、本件の捜査経過をみると、検察官は、吉川正功については、取調べ可能であれば捜査の必要があると判断し、右吉川フイルムの現像等が終了し本件現場の一部が撮影されていることが判明した昭和四六年一一月末ころから警察官をして、吉川方に赴かせたり、同人の所属する全軍労事務局を通じて取調べに応ずるよう再三協力方を要請したのであるが、同人はこの要請に全く応じようとしなかった(嘉手苅福信の第一審における証人調書添付の速記録三九丁表から四〇丁表、五六丁裏から六二丁裏、高江洲歳満の同審における昭和五三年八月二二日付け証人調書添付の速記録二一丁表から二三丁裏、六八丁表から七〇丁裏、なお、第一審判決書三二丁表一〇行目から一一行目)ため取り調べることができなかったものである。しかも検察官において、前述のとおり起訴時までに平野写真、平野供述、宇保供述をはじめ各種の証拠資料を入手しており、吉川フイルムの証拠価値も乏しく、これを撮影した吉川の取調べは、起訴を決定するについて必要不可欠とは認められなかったこと、本件が凶悪・重大犯罪でかつ、罪証隠滅、逃亡のおそれもあったことから、身柄拘束のまま起訴する必要性が認められ捜査期間に制約があったことを考慮すると、検察官に対しこれ以上に、吉川正功の取調べが必要であったとしたり、それが可能であったとすることは明らかに誤りである。また、前田孝については、同人撮影に係る写真一枚(司法警察員仲間守栄他一名作成に係る一九七一年一一月二六日付け「甲野太郎に対する捜査報告書」((乙第四五号証))中の一二枚目のもの)を入手していたが、右写真の撮影者については報告書自体からは明らかでなく、警察官からも氏名を聞くことができず、しかも、右写真は、被上告人の犯行を証明したり、否定したりするものでなかったことから、右写真を重要視するに足らなかったので(高江洲歳満の第一審における昭和五三年八月二二日付け証人尋問調書添付の速記録七七丁裏から七八丁表、同人の第二審における昭和五七年五月一八日付け証人尋問調書添付の速記録六〇丁裏から六五丁裏、上間金一の刑事第一審における昭和四七年八月二五日付け証人尋問調書一丁裏)、前田孝の取調べが必要不可欠とは到底いえず、また、宮城悦二郎については、捜査段階では何ら捜査の手掛かりとなるべきものはなかったのである。以上のとおり、検察官が吉川正功、前田孝及び宮城悦二郎を取調べなかったことに何ら職務上の義務違背は存しないのであるから、右三名の証言が公訴提起に必要な嫌疑の有無を判断すべき「起訴時における各種の証拠資料」に取り上げられるべきものでないことは明らかである。

なお、付言するに、元来、本件のような過激派による集団暴力事件ないしいわゆる公安労働事件は、一般に、反国家権力を標ぼうして組織的になされるものであるから、組織関係者は彼ら独自の仲間意識及び反権力意識からこの種事件の犯罪捜査に協力せず、むしろ捜査妨害的な態度をとるのが通常であって真実発見のための捜査が極めて困難であるが、本件においては、更に、折から開会中のいわゆる沖縄国会に向けて、本件犯行当日沖縄全土において、一〇万人以上にのぼる組織労働者等の職場放棄を中心とする沖縄返還協定批准反対ゼネストが行われるなど、百万沖縄県民のほとんどが沖縄の完全復帰を指向していたという背景があり、本件が、右の背景事情の下で、右沖縄返還協定批准反対県民総決起大会の一環として行われたデモ行進の過程において発生した事件であったがために、組織関係者はもちろんのこと、地域住民も捜査に非協力であり、当時としては、検察官が本件公訴提起当時に収集していた手持証拠以上の証拠を収集することは到底不可能な状態にあったといわざるを得ないのである。

以上のとおり、原判決は、起訴時において、検察官が収集し、第二行為を証明すべき根拠とした各種の証拠資料(特に平野写真No15、平野供述、宇保供述)について起訴の時点における証拠資料ではなく、公訴提起の違法性、過失認定に供すべきでない証拠(被上告人の取調べ供述に現われていない供述、吉川正功、前田孝及び宮城悦二郎の各証言)でもって、その信ぴょう性に疑問を挟差し挾み、あるいはこれを否定することによって、第二行為を訴因とする公訴事実について有罪と認められる嫌疑を否定し、検察官に違法、過失があるとしたものであるが、これは公訴提起の違法性、過失の判断規準について国賠法一条一項の解釈適用を誤り、かつ、採証法則に違背するものである。

三 〈省略〉

四 原判決は、公訴の追行に違法、過失があると判示しているが、これは国賠法一条一項の適用を誤ったものである。

原判決は、「第二行為についての違法な公訴の提起は、これに続く公訴の追行過程において有罪判決を期待しうる合理的な理由が例外的に具備される場合には至らなかったものとして、結局本件公訴の追行も違法であったといわなければならない。」と判示しているが、前記二で詳しく述べたとおり、公訴の提起に何らの違法はなく、公訴の追行も、訴因ではなく公訴事実について有罪と認められる嫌疑があれば適法であるところ、前記三で詳しく検討したとおり、第一行為によって有罪と認められる嫌疑があったのであるから、本件公訴の追行は適法である。

そして、本件においては、結果的には時期に遅れたという理由から訴因変更が許可されなかっのであるが、訴因変更は、刑訴法三一二条一項の規定の文言からして公訴事実の同一性のある限り許されるべきものであり、それにより被告人の被る不利益については、公判手続の停止等により救済されるべきものである(最高裁昭和四七年七月二五日第三小法廷決定刑集二六巻六号三六六ページ)から、検察官において、訴因変更が許されると考え公訴を追行したとしても何ら過失はないものというべきである(最高裁昭和四六年六月二四日第一小法廷判決・民集二五巻四号五七六ページ、最高裁昭和四九年一二月一二日第一小法廷判決・民集二八巻一〇号二〇二八ページ参照)。

五 原判決は、公訴の提起・追行時において、第二行為について有罪と認められる嫌疑がないと判断しているが、この判断は、前提となるべき事実の認定について採証法則違背の違法をも犯したものであり、ひいては、国賠法一条一項の解釈・適用を誤ったものである。

1 公訴の提起・追行時における有罪と認められる嫌疑の程度については、既に、前記二の1で詳しく述べたとおり、判決時に要求されるものより低度のもので足り、かつ、当該時点における各種の証拠資料を総合勘案して合理的な判断過程により有罪と認められる嫌疑があれば足り、逆にいえば、有罪と認められる嫌疑があると判断したことについて、通常考えられる個人差を考慮に入れてもなおかつ行き過ぎで、経験則に照らして到底その合理性を肯定することができない場合に違法であると評価されるに過ぎないのである。この当然の事由を前提に、以下、公訴の提起時、その追行時の二つに分けて検討を加える。

2 公訴提起について

前記二の3で詳しく述べたとおり、検察官において、被上告人が第二行為を実行したものと認定し得る直接証拠としては、平野写真No15、平野供述、宇保供述があり、平野写真No15については、平野富久から、被上告人が被害者の山川巡査部長を踏みつけるところである旨の説明を受け、宇保供述については、犯行時間帯に、現場において、同人から指示説明を受け、的確に目撃できることを確認しているところであって、いずれも信ぴょう性が高く、これらの写真、供述の相互間には矛盾がなく相互に補強し合うものである。しかも、鑑定書により傷害の部位が裏付けられ、さらには、原判決も認定しているとおり、被上告人は、「機動隊粉砕」等と叫びながら過激派集団と終始行動をともにし第二行為の直前の第一行為があり、第二行為の直後には、警備部隊に対し、「犬だ、殺せ」などと叫んでいるという重要な事実関係も加っている上に、被上告人の否認にも変転が認められたのであるから、これらの証拠と事実関係を合わせ検討すれば、検察官において被上告人が第二行為をなしたものと判断したのはまことに当然、至極合理的な判断をしたものというべく、そこには何らの違法も過失も存しない。ただ、原判決が重視している吉川フイルムについてであるが、この点も、前記二の3で詳しく述べたとおり、吉川フイルムは、平野写真No15と同一場面を角度を変えて同時に撮影されたものとは断定できないものであるし、その画面をいかに子細に眺めてみても、そこに写されている被上告人の動作が消火行為であるのかそれとも加害行為であるのかは容易に判別し難いものであるから、検察官において、平野写真No15、平野供述、宇保供述の信ぴょう性につき、これを吉川フイルムが弾劾するものではないと考えたのも合理的な判断といわなければならない。

次に、被上告人の殺意の点についてであるが、本件は、平常人の平穏な状況下で敢行された犯罪ではなく、当時沖縄返還協定批准阻止を目的とした集会、その集会中における機動隊への火炎びん投てき、投石による攻撃、集会に引き続くデモ行進中における過激派集団による派出所や変電所等への火炎びん投げてきなどの激しい攻撃の推移を経て、本件犯行現場においては、過激派集団を含むデモ隊とこれを警備する機動隊とが危機的ともいうべき異様な雰囲気に包まれ、正に一触即発の状態となっていたのである。しかも、読売写真によれば眼鏡をかけた者一名が被害者を押さえつけ、ヘルメットをかぶり覆面した者一名が両手で持ったこん棒を振り降ろして被害者を殴りつけ、ヘルメットをかぶり覆面した者一名が両手に各一本火炎びんと思われるものを携えている状況の下で、被上告人が被害者の腰部を足蹴りしていることが認められるのであるから、被上告人にはこれらの者と殺人の現場共謀があったものと評価した検察官の判断は自然であり、合理的というべきものである。

以上のとおり、公訴の提起時において、被上告人が第二行為をなした殺人(少なくとも科刑上傷害致死)事件について、「有罪と認められる嫌疑」はあったのであるから、これが認められないとした原判決には採証法則違背があり、ひいては国賠法一条一項の解釈適用を誤ったものといわなければならない。

3 公訴の追行について

原判決は、「本件刑事被告事件においては、第二行為と目されるものが、検察官の主張する殺人の実行行為であるか、弁護人らの主張する救助行為であるかに争点を絞って審理されたが、刑事第一審においては、被控訴人と罪体とを関係づける主たる証拠及びこれを争う主たる証拠として、第七、第八回公判期日において証人平野富久(平野証言)の、第一〇回公判期日において平野写真の、第一一回公判期日において証人宇保賢二(宇保証言)の各証拠調がなされ、第一二回公判期日をもって、一応警察官申請の証拠調の段階を終了し、第一三回公判期日から弁護人申請の証拠調の段階に入り、第一四回公判期日に証人前田孝(前田証言)の、第一五回公判期日に吉川フイルム、証人吉川正功(吉川証言)、同宮城悦二郎(宮城証言)の、第一七回公判期日に前田写真の各証拠調がなされ、更に、第一八回公判期日に検察官の申請で、読売写真の、第一九回公判期日に弁護人の申請で呉屋写真の証拠調がなされたうえ、第二〇回公判期日に弁論が終結され、第二一回公判期日に判決の言渡がされた。」と判示し(判決書②―28丁裏八行目から②―29丁裏二行目)た上、「刑事第一審で取り調べた平野写真は、検察官が被控訴人を起訴した当時、すでに収集していたものであり、検察官から申請された新たな証拠方法としては平野証言及び宇保証言のみであったといえるが、平野証言は、平野写真が存在していたことからすると、予想されたことを証言したものであり、宇保供述は、すでに検察官において収集していた宇保供述に副う証言をしたものであって、何れも実質的には新たな証拠ということはできない。しかも、先に述べたとおり、すでに検察官が収集していた吉川フイルム等と比較検討すると、その証拠価値は減殺され、ほかに新たな証拠はないのであり、検察官が訴因として特定した公訴事実については、右各証拠を考慮に入れても、やはり、被控訴人に有罪判決を期待することは困難であったものといわなければならない。」と判示し(判決書②―29丁裏一〇行目から②―30丁裏一行目)ている。

右の判示からも明らかなように、第二行為についての検察官側の主たる証拠は、平野写真No15、平野証言、宇保証言であり、被上告人側の主たる反証は、吉川フイルム、前田証言、吉川証言、宮城証言であるところ、原判決は、公訴提起の適否の検討段階において、平野写真については、吉川フイルム、前田証言、吉川証言によって、平野証言及び宇保証言は、前田証言、吉川証言、宮城証言によって、それぞれ信ぴょう性を否定し(判決書②―9丁裏一一行目から②―17丁表七行目)た上、有罪を期待し得る新たな証拠はないとしている。

しかし、前記検察官の主たる証拠と被上告人側の主たる反証とを比較検討するならば、検察官が、「有罪と認められる嫌疑」があると判断したのは、合理的判断ということができるのである。

すなわち、平野富久は、昭和四八年四月二三日の第七回公判期日において、検察官の主尋問に対して、「被上告人が、被害者山川巡査部長の上半身を二回踏んだのを、約五メートルの距離から目撃した。その時撮影したのが平野写真No15である。」「被上告人が踏みつけたことと被害者の着衣に着火した火が消えたこととは無関係である。」旨明確に証言し(甲第三四号証第七回公判調書(供述)一二丁裏、一五丁裏から一八丁表)、同年七月一三日の第八公判期日における弁護人の執ような反対尋問に対しても終始右証言の趣旨を維持するなど(甲第三七号証・第八回公判調書(供述)五丁表から一六丁表、二〇丁表、二七丁裏から三六丁表)、一貫性・合理性のある証言をしており、宇保賢二も、昭和四八年一〇月二九日の第一一回公判期日において、「被上告人が、火の中から山川巡査部長を一メートルくらい引きずり出し、仰向けに倒れていた同人の顔を二回、脇腹を一回右足で踏みつけた。」「(平野写真を示されて)被上告人が顔を踏みつけているところである。」旨明確に証言に、弁護人の執ような反対尋問に対しても、「(被上告人の踏みつけた足が)顔に当ったことは確かです。」と返答し、「頭に当ったかどうかはわからんということですか。」との質問に対して「いいえ、当っています。」と、「脇腹に当ったかどうかもそのとおりですか。」との質問に対して「確かです。」といずれも確信をもって証言し(甲第五三号証・第一一回公判調書(供述)一二丁表から一八丁裏・二四丁裏、三八丁裏)ており、同証言は捜査段階における供述(乙第二九号証・同人の一九七一年一一月二〇日付け司法警察員に対する供述調書、乙第三〇号証・右同一一月二四日付け供述調書、乙第三一号証・同人の同年一一月三〇日付け検察官に対する供述調書)以来、原判決も認めるとおり(判決書②―16丁裏一行目から六行目)一貫しており、また合理性も認められるのであって、右平野証言、宇保証言とも、検察官が公訴提起当時収集していた手持証拠をより強固にしたものと評価すべきものである。

これに反し、吉川フイルムについては、前記二の3で述べたとおり、証拠価値の乏しいものであり、さらに、前田、吉川、宮城の各証言を検討すると右各証言は、それ自体に矛盾がある上、各証言相互間にも矛盾があり合理性に欠けるものである。まず右前田証人は、第二行為については詳細に証言しているのに対してそれ以前の状況については全く目撃しておらず不自然であり、第二行為を初めて目撃した当時の状況についても、「警察官が群集にとびこんで二、三秒で倒れた。」「倒れてからすぐ火炎びんが投げられた。」(甲第六七号証・刑事一審における昭和四九年四月一五日付け前田孝の証人尋問調書四丁裏から五丁表)旨証言しながら、その直後には「私が見たのは火炎びんが投げられてぱっと燃え上った後ですので、どういうに倒されたかわかりません。」「機動隊がやられているのは見ていない。」(右同証人尋問調書一四丁裏)と証言したり、被上告人の第二行為についても、「火に包まれた瞬間は火の勢いが激しくぼう然としていた。二、三秒で被告人が火の中から警察官の腕をつかまえて引っぱり出し消火した。」(右同証人尋問調書一五丁表)、「被告人は、足を上下にしてぱたぱたさせて周辺の被告人を消そうとしていた。わずか二秒前後だと思う。」(右同証人尋問調書一六丁表)旨証言していながら、その一方では、「無我夢中だったので、目についたものは全部シャッターを押すという状況でした。」(右同証人尋問調書一七丁表)などととても右のような冷静な観察はできない状況であったことを明らかにする証言をしているのである。前田証言の矛盾は、刑事二審の証言内容と対比すると更に鮮明になり、被上告人の第二行為に関連して、前田証言は、同審において、「(火炎びんの炎があがってからぼう然としていた時間は)二~三秒では短いと思う。二〇~三〇秒位と思う。」(甲第一二九号証・同人の刑事二審における昭和五〇年一二月二日付け第四回公判証人尋問調書八丁裏)とその時間を大幅に変えたり、前田写真二〇コマの写真を撮影してから被上告人が山川巡査部長の身体を炎の中から引っぱり出したとするまでの経過時間について弁護人から質問されたのに対して「五~六秒位、二~三分ではない。秒単位の時間です。」(右甲第一二九号証の証人尋問調書八丁裏から九丁初め)旨極めてあいまいな証言をしているのである。さらに、後記宮城及び吉川の各証言と対比すると前田証言の不合理性は更に明確になるのであって、例えば、宮城証言の「燃えているものの中に靴が見えたので人間だとわかった。」(甲第七二号証・刑事一審における昭和四九年五月一三日第一五回公判期日における宮城悦二郎の証人尋問調書三丁表)「私がF地点に行ってから火が消えるまで五分あった。」(右同証人尋問調書一二丁表)旨の証言、吉川証人の「五分ぐらいの状況をカットしながら撮影した。」旨の証言を対比すると右前田証言との懸隔が明らかであり、恐らく、右前田証人が右のとおり、控訴審において、自己の目撃時間を引き延ばす証言をしたのも右宮城、吉川証言との食い違いが余りにも判然としていて証明力を減殺することになることをおもんばかったことによるものと推認され、以上の諸点からして、右前田証言が不合理かつ信ぴょう性に欠けるものであることが明らかである。

次に、宮城証人は、第二行為については後記のとおり極めて詳細な証言をしていながら、第一行為等それ以前の状況は全く目撃していないのであって、その意味では、右前田証言以上に不自然さが顕著である。また第二行為について、同証人は、右に述べたほか、「被告人は自分の前の方を横切って行った。」「機動隊員を火のないところに引っばり出した。」「身体の周囲近辺に燃えている火を足でぱたぱたしながら消した。」「私が行ってから火が消えるまで五分ぐらいであった。」(宮城証人の右証人尋問調書四丁表、一二丁表)旨証言しており、先の「火に包まれた後、二、三秒で被告人が火の中から警察官の腕をつかまえて引っぱり出し消火した。被告人が火を消そうとしていたのはわずか二秒前後だったと思う。」旨の右前田証人の刑事一審における証言と比較すると時間の経過、状況の推移が食い違っており、右前田証言を前提とすると、右宮城証人が被上告人の消火・救助行為を目撃したとするときには、被上告人は、既に右行為を終えその場を離れていたことにならざるを得ないという矛盾を来たすことになり、いずれにしても、右宮城証言も、それ自体あるいは前田証言及び後記吉川証言との間に矛盾があり信ぴょう性に欠けるものである。

次に、吉川証言について検討すると、同証言自体に相当の矛盾、不合理性が認められるのである。まず、同証人は刑事一審において、当初「私が見たときは、燃え上って五、六名のものが盾や旗を使って消火していた。」(甲第七三号証・昭和四九年五月一三日第一五回公判期日における吉川正功の証人尋問調書一丁裏)旨供述しておきながら、その直後に「最初は足で消していたがなかなか消えないので旗や盾をかぶせて消した。」(右証人尋問調書三丁裏)旨供述を変えており、また、同証言によると、同人は被上告人の第二行為を目撃していたとは到底認め得ないのに、平野写真を示されて「火を消しているところではないかと思う。」(右同証人尋問調書一四丁表)とか、自ら撮影した吉川フイルムを示されて「写真の人物の位置関係からして二三コマから二八コマに見える白いズボンをはいた男はAだと思います。」「右足だと思いますが、二三コマあたりから徐々に降りて行って機動隊員の左手の方の火を消してている。その後左足を引いて三八コマで右足で火を消していたのを引いて四一コマでは左足を引いて四五コマから右足で火を消している。」(右同証人尋問調書五丁裏)などとまことしやかに被上告人がさも消火、救助行為を行ったかのように誤認させる内容の供述をしているのであり、到底措信し得るものではない。

以上のとおり、前田、宮城及び吉川の各証言は、いずれもその合理性、信用性に疑義があるのであるから、かかる証言があったからといって、検察官において、平野証言等を減殺評価して公訴追行の可否を再検討する余地などないのであって、にもかかわらず、この点について検察官の公訴追行に違法・過失があるものとした原判決は、採証法則違背の誤りを犯し、国賠法一条一項の適用を誤ったものというべきである。

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